朝礼訓辞

平成31年3月 朝礼訓辞

 児童文学作家の椋鳩十という方が居られました。鹿児島に長く住んでおられ、県立図書館長なども歴任されました。
 椋さんの故郷は信州(長野県)の伊那谷という小さな村です。
 椋さんが晩年、30年振りに帰省すると小学校の同窓会が開かれました。禿げ上がったり、皺がよったり、腰が曲がったりで、初めは誰が誰やらわかりませんでしたが、次第に幼い頃の面影が蘇って来ました。
 しかし、ただ1人だけどうしても思い出せない人がいました。背が低く、色が黒く、だが堂々として威風があります。
 隣の人に聞くと、「あんな有名だったやつをお前は忘れたのか。ほら、しらくもだよ」という。椋さんは、えっ!?となりました。

 しらくもは頭に白い粉の斑点が出る皮膚病です。
 今で云う、頭部白癬です。それを頭にふき出して嫌われ、勉強はビリでバカにされ、いつも校庭の隅の大きな木にポツンと、もたれかかっていた男です。

 しかし今はゆったりとした風格を滲ませ皆んなと談笑している男が、あのしらくもとは・・・・・・。 椋さんは絶句します。
 聞けば、今、伊那谷で1、2番の農業指導者として、みんなから信頼されているという。
 二次会で椋さんは率直に、しらくもに向って「あのしらくものお前が、こんな人物になるとは思わなかった。何かあったのか」と聞きました。
 しらくも君は「誰もがそう言う、あった」と答えました。

 惨めでつらかった少年時代、我が子には、こんな思いはさせまい。望むなら田畑を売ってでも、子供は中学、高校にやろう、と考えました。息子が高校2年の夏休み、分厚い本を三冊借りて来て息子に与えました。ところが、息子は一向に読む気配がありません。
 彼は考えました。子供に本を読め、という前に、先ず自分が読まなければと悟ります。農作業に追われ、本など開いたこともありません。最初は投げ出したくなりましたが、それでも読み続けました。
 次第に本に引き込まれ、感動がこみ上げて来ました。その後は農業の専門書を読みあさり、農業委員会を訪ねて質問を浴びせ、猛烈に勉強を始めました。
 斬新な農業のやり方を試みて成功させ、そして、しらくもはみんなから頼りにされる農業指導者と化しました。

 この話をされた椋鳩十さんは、終りにこう云いました。。
「感動というやつは、人間を変えてしまう。そして奥底に沈んでいる力をぎゅうっと、持ち上げて来てくれる」
 小学生の頃、勉強がビリだったって構わない、走り方がビリだったって構わない。大人になってから、何かあるものに目覚め感動し、努力さえすれば、きっと道が開けます。

 日々、誠意を持って人に接し、こつこつと仕事に励むこと、人にやさしく接し、決して悪口を云ったりしないこと、自分の置かれた場所で、真面目に生きることが大切だと思います。

 3月に入り、いよいよ平成の時代も終りに近づいて来ました。
「せいざん」も少しずつ成長しています。皆さん一緒に頑張りましょう。
 今月もよろしくお願い申し上げます。

「心に響く小さな5つの物語」より

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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