朝礼訓辞

令和4年6月 朝礼訓辞

 今から62年前(1960年、昭和35年)、イタリアのローマでオリンピックが開催されました。

 マラソンで優勝したのはエチオピアのアベベ・ビキラ選手でした。幼い頃からマラソンの英才教育をうけたわけでもなく、スポーツ名門校を出たわけでもなく、ましてや国際大会の常連選手だったのでもありません。オリンピックに出る前は全く無名の選手でしたが、彼が1着でゴールしたとき、辺りは騒然となりました。世界記録を大幅に上回るタイムもさることながら、この選手は靴を履いていなかったのです。つまり裸足で走ったのです。


 マスコミが金メダリストに殺到しました。通訳を通してのコメントに、自分はエチオピア皇帝の親衛隊員で、毎日、自宅と宮殿の間を裸足で走っていた。まだ20kmは走れるし、エチオピアの人達は皆、はだしだと答えたそうです。

 それから4年後、今から58年前(1964年、昭和39年)に東京でオリンピックが開かれました。この時もアベベは他の選手を寄せつけず圧倒的な強さを見せつけ、世界新記録で優勝しました。


 私事で恐縮ですが、実は私はこの年、昭和39年に結婚しました。当時はまだまだモノクロームの白黒でしたが、私の妻が結婚の嫁入り道具の1つとしてテレビを持ってくれていて、鹿児島のある精神科病院での当直室に2人で住んで毎晩の当直でしたが、2人でアベベが東京国立競技場に1着で裸足でゴールするのを見ました。その光景を今でも鮮明に記憶しております。

 余計な話になりますが、この頃、精神科病院の当直料は1晩500円でした。それに私が大学院で毎月借りた奨学金が、月に15000円でした。合計3万円で新婚時代を過しました。


 ところでアベベ・ビキラはローマ五輪・東京五輪と2連覇を達成したのですが、オリンピック史上、マラソンの2連覇はまだ誰も達成していません。アベベは、東京オリンピックの5年後、交通事故に遭い、半身不随となります。そして更にその4年後に脳出血を起し、死にました。時に41才でした。

 アベベは「暑さ寒さも、風にしても誰にも吹くものだ。強い者は強い。だから運も不運もない。一斉にスタートして、1番先にゴールへたどりついた者が強い。勝負とは、本来それだけのことである」と述べています。


 人間には暑さも寒さも同じように来るし、風も思うように吹きます。
 ただただ努力する者だけが生き残り、決して愚痴ることなく、目の前の自分に与えられた仕事を、たんたんとして行くのが、人生のこつなのでしょう。


 コロナの終息もまだ見られませんが、各々、十分に注意を怠ることなく、今月も一緒に頑張りましょう。梅雨に入ります。体調に気を付けて、雨期を乗りきりましょう。


令和 4年 6月 8日(水)

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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