朝礼訓辞

令和3年2月 朝礼訓辞

 去る1月31日、西之表市町選挙が終わりました。馬毛島に米軍のFCLPの基地を造ろうという国の計画に反対した八板候補が2期目の当選を果たしました。
 開票の結果は144票という僅差でしたが、民意が反影されたと理解してよいと思います。

 八板市長は、西之表は昔から多くの移住者を受けいれて来たという歴史や、豊かな自然を生かし、安心で安全な地域づくりを訴え、女性や高齢者層を中心に浸透をはかりました。馬毛島は、他にもいろいろ用途があり、もっと有効に使うべきだと訴えました。

 一方の市長候補は、馬毛島は国策として、すでに決まったことであり、交付金も沢山貰える、そのお金で町づくりをしたり、地域振興や子育て支援などにと主張して来ました。

 今から90年前、1931年に満州事変という戦争が起こり、日本は中国と戦争して、その一部をぶん取り満州国を造りました。日本は更に領土を広げ、アジア全体を支配する予定でした。そこで、日本から大勢の移民をつのり、27万人の日本人を送り込みました。
 1936年には、満州国移民が国策となり、更に大勢の日本人を満州へ送りました。

 この時、移民の数が一番多かったのは長野県でした。そこに2人の村長さんがいました。1人の村長は、国策だから国に忠義を盡すのが最善の策だと決断し、多くの人を満州に送り込みました。しかし戦争は次第に日本に不利になり戦争が終わり、中国を追われた移民の大半が、自害して帰って来ることはありませんでした。

 もう1人の村長は佐々木忠綱という医師でした。自ら満州へ視察に行き、日本人が中国人から土地を搾取しており、決して日本人が移民として行っても、国が云うほどの「王道極楽」の地ではないことを知り、満州国移民という国策に抵抗しました。佐々木村長には、国策に応じなかったというので、いろいろ圧力がかかりましたが、村から1人の死者も出なかったということです。

 国策という言葉を私は決して好きでありません。国策という言葉に決して惑わされてはなりません。

 そんなことよりも、この歴史豊かな平和な島を守りつつ、私達はこの島に暮らす多くの病人のために、ただひたすらに寄り添い、医療と介護の道を歩み続けて参りましょう。
 コロナに注目しながら今月も何卒よろしくお願いします。

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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