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東京オリンピックの聖火リレーが、3月25日福島県で始まりました。コロナ禍で果して開催できるものかどうか、関係者の間でいろいろ議論されていますが、なんとも云いようのない状況です。
前回の東京オリンピックは、昭和39年、今から57年も前に開かれましたが、この年私は医師国家試験に合格し、結婚し、長女が誕生するという記念すべき年でした。
新婚の家に白黒のテレビを買い、雨がザーザー降って映像は雨の中でしたが、感動的な場面をいくつか憶えています。
特に印象的だったのは、東洋の魔女と呼ばれた女子バレーが優勝したこと、次にマラソンで円谷幸吉選手が3位に入り銅メダルを取ったことです。マラソンの金メダルは、エチオピアのアベベ選手が裸足で東京を駆け抜けたことです。
円谷幸吉はその後、半年後に自殺しました。東京の練馬にある自衛隊体育学校の宿舎で自分の頸動脈を両刃のカミソリで切断し出血多量で死亡しました。
遺書が2通残されており、1通は家族あてのもの、1通は自衛隊の上官にあてたものでした。少し長いですが遺書の全文を読んでみます。
「父上様、母上様、3日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。克己兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南蛮漬け美味しゅうございました。喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒、美味しゅうございました。又、いつも洗濯ありがとうございました。
孝造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴きありがとうございました。モンゴいか美味しゅうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなくご苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」
以上が遺書の全文ですが、この遺書は当時の文学界の巨匠たちが驚愕したほどのものであり、中でも日本で初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成は、この遺書が公開されたのを読み、殊に家族にあてた遺書は身にしみたと云い残しています。
円谷幸吉の自殺と関係あるのか解りませんが、因みに川端康成もそのあとにガス自殺しました。芥川龍之介も自殺した、太宰治は愛人と入水自殺した、三島由紀夫は割腹自殺した。
日本の文学界の巨匠たちは何人か自殺しています。小説家というものは、人間の幸、不幸というものを追求して読者の心に届く作品を求めて行く中に自分に限界を感じることがある。そういう時に死というものを自分で選択するのではないでしょうか。
人間の心に届くような作品を書こうと煩悶し、考えに考えつまるところ自殺を選んだのだろうかと思いますが、平凡な私にはよく解りません。
オリンピックから自殺の話になりましたが、現在世界で最も大切なのはコロナ対策です。コロナの収束を願って毎日働いて参りましょう。今月も何卒よろしくお願い申し上げます。梅雨に入りました体に気をつけて下さい。
医療法人純青会 せいざん病院
理事長 田上 容正