過去更新記事
お早うございます。今日はひな祭りですが、女性の方々皆さんおめでとうございます。
昨年11月末「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」という本が、出版されました。
その中に塩見志満子さんという女性の話があります。
彼女には4人の子供がいましたが、長男を白血病で小学2年生の時に亡くしました。末っ子の次男は元気、この子は大丈夫だと喜んでいました。ところが、この次男が小学3年生になった時、夏のプールの時間にプールの底に沈んで亡くなってしまいました。近くの高校に勤めていた塩見さんに連絡が入り、大急ぎで駆けつけたが次男はもう冷たくなっていました。
子供たちが寄って来て「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と口々に云います。「どうしたの」と聞くと「休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をうちつけ、そのまま沈んでしまった」と話してくれました。「押したのは誰だ。犯人が見つかるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」という怒りがこみ上げて来ました。
新聞社やテレビ局が来て、大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった御主人が大泣きしながらやって来て、塩見さんを裏の倉庫に連れて行って云いました。
「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親は、これから過ちとは云え自分の子供は友達を殺してしまった、という罪を背負ったまま生きなければならない。わしらは死んだ子をいつかは忘れることが出来るけど、わしら2人が我慢しようや。うちの子が心臓マヒで死んだことにして、校医の先生に心臓マヒで死んだという診断書さえ書いてもらえたら学校も友達も許してやれるじゃないか。そうしようや。そうしようや」
私はびっくりしてしまって、この人は何を云うのだろうかと。だけど、主人が何度も強くそう云うものだから、仕方ないと思いました。それで許したのです。友達も学校も。
こんな時、男性は強いと思いましたね。でも、いま考えたらお父さんの云う通りでした。
争うてお金を貰ったり、裁判して勝ってそれが何になる。許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の7月2日にお墓に花がない年が1年もないんです。
30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けタワシで墓を磨いてくれている。
もし私があの時、学校を訴えていたら、お金は貰えてもこんな優しい人を育てることは出来なかった。そういう人が生活する町には出来なかった。心からそう思います。と塩見さんは、語っておられます。
苦しくて悲しいその後の生活でしたでしょうか、人を許すことにより、自分も強く生きて来られたのでしょう。
患者さんを大切にしましょう。人には優しくしてあげましょう。 今月も一緒に元気に働きましょう。
「致知3月号」より参照
医療法人純青会 せいざん病院
理事長 田上 容正