朝礼訓辞

令和2年1月 朝礼訓辞

 明けましておめでとうございます。令和2年、西暦では2020年の幕明けです。今年は、56年振りに東京でオリンピック、パラリンピックが開催されますが、当時はテレビの放送が始まったばかりで、私も興奮して観戦したことをよく憶えています。

 扨て、昨年は、中曽根元総理大臣や女優の八千草薫さん、樹木希林さん達が亡くなりましたが、中でも特に印象に残っているのは、12月4日アフガニスタンで医師 中村哲先生が銃撃に会い、亡くなられたことです。73才でした。
 先生はアフガニスタンで30年以上にわたり、医療活動のかたわら、多くの井戸を掘り、用水路を作り、現地の復興支援に携わって来られました。
 医療支援を行っている中に、抗生剤などの薬では限られた人数の人しか救えない、先ず飢えと渇きを満たさなければ、多くの病人は救えない、と気付かれたのです。
 そこで日本の若者を募り、飲料用水の井戸1600本と灌漑用の多数の地下水路を修復されました。
 砂漠の中に、緑の農地が生まれたのです。
 農業こそが平和の礎であるとの信念を貫かれました。

 中村先生は福岡高校から、九大医学を卒業され、精神科の医師として働いて居られましたが、或る時は、パキスタンの7000m級の山々の登山隊に医師として同行され、「命の不平等」を目のあたりにされたのでした。
 10代のころ、視覚障害のある牧師の影響を受け、「人の役に立つ仕事をしよう」との信念を抱いておられました。
 「命の不平等」という現実に心苦しさや憤りをひきずって帰国されたのでした。
帰国して間もなく、アフガンの東部の山の中、ダラエヌールという所に診療所を開設したのを皮切りに、いろんな活動を現地の人々と混わりながら、始められたのです。
 日本でも中村医師の活動が次第に注目されるようになり、先生を支援する「ペシャワール会」が結成されました。
 私も最初から、この活動を支援して来ましたが、年会費の他にクリスマスには別途に募金を行っておりました。
 昨年12月4日、午前中、私は郵便局に行き、特別募金を送り、その足でせいざん病院に帰り、医局で昼のNHKのテレビニュースを見たら、トップに中村先生が銃撃に会われたという報道に接したのです。
 命だけは助かってほしいと祈りましたが、叶いませんでした。

 中村先生のアフガンでの活動は、天の使命であったのでしょう。また凶弾に倒れられたのは天命であったのでしょう。
 私達も何らかの使命を負いながら、生き、働かなければなりません。そして何時、どのような天命が待ち受けているかも知れないのです。

 新しい年、令和2年も、皆さんと一緒に頑張りたいと思います。何卒、よろしくお願い申し上げます。

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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