朝礼訓辞

平成29年9月 朝礼訓辞

 今年48才になられる、大坂在住の岸田ひろ美さんという女性が居られます。
車椅子の生活をしながら「高齢者や障害者への向い方」とか「障害のある子供の育て方」
などの講演を、日本国中はもとより、ハワイやミャンマーなど、外国でも数多く、
こなしながら活躍して居られます。
息子さんと娘さんの2人の子供を育てられましたが、自分にはこれまでの人生で3つの
大きな転機があったと述べて居られます。
 1つは、今年22才になられる息子さんが生まれた時、ダウン症で重度の知的障害が
あったこと。
 2つ目は、12年前、御主人が急性心筋梗塞で突然亡くなられたこと。
 3つ目は、突然自分自身が急に歩けなくなったこと。
以上、3つの大きな出来事が岸田さんを襲いましたが、3つ目の出来事とは
御主人が亡くなられてから3年後のことでした。

 或る日、仕事に出掛けようと、朝、洗面所に立った瞬間、胸に「バーン」と
いう衝撃が走ったのです。
それは、心臓から出る大きな血管が裂ける振動だったのです。
いわゆる、大動脈解離でした。
 気が付いた時、ベットに横たわっている自分を発見される訳ですが、主治医から
宣告されたのは「死」でした。
人工血管に変える大手術しかない、だが成功率は2割あるかないかだと告知を受けます。
 岸田さんは、手術を決心され、10時間に及ぶ手術の末、奇跡的に再び目覚めることが
出来たのです。
 ところが、ほっとした喜びも束の間、主治医から、おそらく手術の後遺症で一歩も
歩くことが出来なくなるだろうと知らされました。
 寝返り出来ないし、座ることも出来ない、お手洗も自分一人では出来ない、
そういう体になっていたのです。

 「何で生きているんだろう、死のう、いや死んでやる」
毎日そんなことを考えながら、病室の天井を眺めて泣いてばかりでした。
そして、娘さんに車椅子を押して貰い外出できるようになった或る日、
情けなさが絶頂になり「もう限界だ、もう死のう」と思い娘さんに打ち明けたのです。
 すると娘さんは、ケロッとして
「うん知っている、ママが死にたかったら死んでもいいよ」
と云われたのです。
そう云われた瞬間、「自分は本当は死にたくないのではないか」ということに
気付かれたのでした。
 死にたいという気持ちは、生きたいという気持ちの裏返しであって御自身、
止めてほしかったのでは、ということに気付かれたのです。
その後、娘さんはこう続けられたのです。
「ママが辛いのは知っている、だから頑張らなくてよい、今ママに死なれたら
私が困る、私はママのお陰で生きている。もう少しだけ私を支えてほしい。
そしたら今度は、私がママを大丈夫にしてあげるから。
2億倍大丈夫だから、私を信じて」

 この言葉を聞いて、やっと自分は気付いた。
「誰の役にもたてない、誰にも必要とされない」と思い込んでいたけど、
娘からは必要とされていたんだと気付かれたのでした。
 其の後、自分は自分のためには頑張れなかったけれど、何か人の役に立って、
もう一度頑張ろうと決心され、病床で心理学の勉強をされ今では全国を車椅子で
講演を続けて居られるのです。

 人は何のために生きるのか。それは誰か人の為に尽すためなのです。

 皆さんは、この「せいざん病院」で一生懸命働いて下さっていますが、
患者さんの為に、やさしく、心を込めて、御世話してあげて下さっています。
 そのことが、人の為になるということであって、
ひいては社会の為に奉仕していることになるのです。

 今月も元気を出して頑張って行きましょう。

「致知8月号より」
医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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